1月31日(木)〜2月7日(金)

<1月31日(木)>

ベルリンに来た。ドイツとの研究上の関わりは,1996年に始まる。国立教育研究所の調査でドイツに来たときから。その時からずっとお世話をお願いして,海外調査科研のコーディネートも頼んだIreneと久しぶりに会うのが目的。なので,宿もIreneの家の側にとった。

でもその前に,ベルリンフィル。

ベルリンフィルのすごさを改めて感じた。特にシュトラウス。もう,一つの生き物のように一緒に動くしうねる。そもそもシュトラウスなんて,そんなにやる曲じゃなかろうに…。すべてが全員の頭に入っているような感じがした。言葉にできないすごさだった。


2月2日(土)

ベルリンは1998年ぶり。この前は,まだ統一後の再開発の途上で,西側と東側では雰囲気が大部ちがったけど,今回はあまり感じなかった。作り始めたばかりで地下を掘る大きな穴が開いていたポツダム広場のソニーセンターも,立派にそびえていた。ここにあるパリ風のカフェ,とてもいい感じだった。

ポツダム広場とブランデンブルグ門の前で,西ドイツ行きのビザを発行してくれる芸人がいて,とても面白かった。猛スピードでしゃべりながら(ドイツ語でも英語でも)実に手際よく,大量の判子を押していく。前のオーストラリア人との問答で,「何か武器を持ってるか」と聞かれたオーストラリア人が,反射的に「yes!」と答えたのには大爆笑。この瞬発力は外国語では無理!

ビザ発行
東ドイツのビザを発行してくれる芸人
ビザのクローズアップ
クローズアップ

ホロコースト記念碑
ホロコースト記念碑

ブランデンブルグ門とポツダム広場の間に,ホロコーストを悼む大きな空間がある(Denkmal fuer die ermordeten Juden Europas)。通りからみるとただの石柱が無数に立っているだけなのだけど,中に入っていくと自分の背丈を超えるような石柱になっていく。そうなるともう,まわりが全く見渡せなくなる。その中にいる孤独感や方向喪失感はなかなかすごい。大都市の真ん中に,えらいものをつくるなぁと思った。そして,こういう情報発信の仕方もあるんだと思った。

この国では,戦前のドイツを礼賛することは法律で禁じられている。そしてこのような記念碑があちこちにある。社会科の授業でも,この歴史についてはしっかり学ぶ。そのように過去を認めて受け止めながら,充分な存在感と誇りをもってEUをまとめる存在になっているのがドイツ。

過去を受け止められず憲法を変えやすいようにしようとしている人たちが目につくわが国と,思わず比較してしまう。そのねらいがどんなに崇高なものでも,変えやすい仕組みを悪用されたらどうなるかを考えると,慎重に考えなければならないと思う。ちなみにドイツの憲法改正も3分の2以上の賛成票が必要だ。にもかかわらず,何度も憲法改正を行っている。これには,憲法と法律の関係など,日本とはちがう事情もあるらしいのだけど,憲法改正に至る合意を形成する努力が一番違うのだろうと思う。

ドイツのキャラクターブランドにアンペルマンというのがある。東ドイツ時代の信号のマークなのだけど,今ではドイツ全土に広がりつつある。それがあまりにかわいくてブランド化された。日本でも白金高輪ビルの2階にショップがある。ショップは観光名所にもなっているハッケシャー・マルクトのハッケシェ・へーフェ(Kleiner Festsaal Hackesche Hoefe)にある。たくさんの商品があって,おもしろかった。キャラクター付きのボールペンを買ったけど,これが使い勝手が良い。グリップの太さがちょうど良い。意外なところに良いものがあった。

夜,Ireneの家に行ったあと,食事に出た。土曜日なのに,あまりやっている店がなくいくつかさまよったあげく,オーストラリア料理の店に入った。3時間ほどいたかな。とても楽しかった。Ireneも飲んでるのだと思ったら,アルコールフリーのWeizenだった。このWeizen,結構上手い。もともと,なじみのない人には不思議な味のついているWeizenビールなだけに,アルコールフリーにしてもいけるのかもしれない。

ハッケシェ・へーフェ
ハッケシェ・へーフェ
1907年ドイツ・ユーゲントシュティールの建築家
クルト・ベルントとアウグスト・エンデルの設計


アンペルマンの青信号
アンペルマンの青信号
来月中旬にも取材でベルリンに来るけど,それに向けて,関連する本屋の情報なども聞けた。来月も会えるかな?
2月3日(日)

夜中,日本でやっている会議にスカイプで参加した。ちょっと紛糾した会議だったけど,大丈夫だろうか。空港に向かう時間ギリギリまでやっていた。日本時間で19時。10時からの会議だから,9時間だね。でも,まだまだ続いたらしい。

セゲドの駅
セゲドの駅舎
セゲドの駅のシャンデリア
セゲドの駅のシャンデリア
ベルリンからブダペスト空港まで飛んで,バスに乗って鉄道に乗り換える。バスが切符を買っている目の前で発車した。次のバスで電車の駅に着いたら,乗りたかった電車が出た直後で,1時間待ち。乗換駅は待合も何もない。寒い。…手書きのコーヒーショップの看板を見つけたので行ってみた。50m先。入ったら地元の人たちが店のおかみさんとゲームをやったりしているローカルな店だった。コーヒーをもらったら,ものすごく小さかった。そうだ,ハンガリーのコーヒーのデフォールトは,ちょっとざらつく感じのエスプレッソなのだった。しかもぬるい…。すごい丁寧に作ってくれたのに…って,それが災いしたか。時間をつぶして,電車にのってセゲドについた。セゲドは,セルビアまであと少しの東端の小さな町。でも,いい大学があるらしく,日曜日の夜,大学に戻る学生がたくさん列車に乗っていた。セゲドの駅がとてもきれいだ。
2月4日(月)

Alany Janos小学校の視察。一般小学校なので1年生〜8年生までが在籍中。英語と情報に重点をおいたクラスがある。ここは,電子教科書を作っているモザイクという会社の実験学校でもある。電子教科書(というか,ウェブを含む電子教科書体系)をMozabookという。それとは別に,1年〜4年で,ケンブリッジが開発した新しい教え方も導入している。先取の気質のある学校だ。もちろん,校長先生のリーダーシップによる。

参観した授業は,5年生「国語」,「数学」,「歴史」,6年生「国語」「理科」。それぞれ,電子黒板と電子教科書,ウェブなどを使った先進的な授業だった。先生方も,使い慣れていて,とてもスムーズで効果的。理科については,校長先生のアイデア満載のウェブ教材を使った授業。校長先生の専門は生物学なのだそうで,彼女の意見をモザイクが教材にしているという関係なのだそうだ。

その後,モザイク社の人が来てくれて,質疑を1時間以上した。教材の説明もしてもらった。提供しているのは,電子教科書(Mozabook),e教材,インターネット教材(MozawebとMozaland),e日記。子どもの学習成果のコンクールもやっている。何から何までやっているのだけど,実は教科書出版社だった。

国語の授業
国語の授業
ハンガリーの首相は,2年ほど前に変わったそうだ。そして,国の借金を一気に返済するという大金融政策をとった。そのため,国民はすごい緊縮生活を強いられたそうだ(ギリシャ国民が拒んでいるやつね)。その関係もあって,教育にお金はまわってこないらしい。モザイクの先行投資でこれらの開発が行われているということだった。

夕方,セゲドの街を案内してもらった。教会が綺麗。夕食に食べたグーヤシュ,おいしかった。

大聖堂(誓約教会)
大聖堂(誓約教会)
グーラシュスープ
グーヤシュ
(パプリカの香りのするちょっと辛めでさらさらのシチューのようなもの)

2月5日(火)

5時起きで,列車に乗ってブダペスト空港(本当は,フランツ・リスト空港という)まで。空港からフランクフルトまでフライト。ICEでエアランゲンにもどった。たった1日だけど,充実した学校視察だった。でも…ケータイをセゲドに忘れた。


2月7日(木)

7日は大学の授業の最終日。次の授業は,4月20日ごろらしい。2ヶ月間の冬休みだ。ドイツの大学は,授業日数がとても短くて,自分で勉強しなければならないという話はこういうことだ。夏休みも1ヶ月以上あるし。


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