2012年9月21〜28日

<21日(金)>

9月21日 フランクフルトに到着。8月に,堀米ゆず子が,フランクフルト空港を出るときに愛用のガルネリが密輸と疑われて没収されたという事件があった。税金2000万ほどを払わなければならないけど払えない,ということらしい。これは入国時に,175ユーロ以上のものを持っている際は(たいがいこれぐらいのものは持ってるわな),自分のものであるという申告をしておく必要があるのに,それを怠ったというもの。確かにそういう規則かもしれないけど,通常音楽家がそれをしているとは思われない。…とはいえ,30年以上前に渡米したときに,持っていたチェロや弓を申告した覚えはある。そういうことがしっかり行われていた時代もあるということか。でも,ルールの突然の厳格適用は困る。実際,検索してみると,フランクフルトフランクフルト国際空港における税関トラブルに関する注意事項という忠告が挙がっている。なので,今回持ち込むPCや周辺機器,それにチェロの弓の総額9,000ユーロ(見積)を申告してみた。

バゲージクレームを出るときに,赤い方に行く。係員が居たので,機内で作った物品リストを見せて,申告したいと言うと,オフィスに行くことになった。そこで,長期滞在なこと,持ってきたものは全部既に使っているものであること,これらは全部持って帰ることなどを説明。書類作成にかかる。(ほんとに申告するの?とか聞かれたので,堀米さんのことなど話してみた。)大事なのはシリアル番号,といわれて,それから機械を取り出して番号を調べてリスト化。シリアルのない弓は,メーカー名を記入。それらについての書類を係員が作成してサインをしたら終わり。途中,「弓だけもって来てどうするん?」「こっちで借りるねん」というような会話をはさみつつ,作業が進行。
「家にちゃんと持ってるか査察にいくよ」
「了解」(ほんまか?そんなこと全員にやってたらえらいことやん)
「手続きはこれで正解なん?」
「ja!」
ということで税関をでた。

laggages
今回の荷物

宿はいつものエクセルシオール。今回は前回よりも荷物は重く,おそらく80〜90kg。送ることなく4つの鞄に詰めてきた。前回と鞄の個数は変わらないけど,一つ一つのボリュームが違う。どれもこれ以上入らないぐらい入れてきた。それでも,これからの冬に向けて,大丈夫かかなり不安はある。「こっちで買えばいい」とは思うものの,前回のユーロ高の印象がぬけなくてね…。積み重ねた布の鞄が自立しないので,往生した。これをホテルまでもちこむのはなかなか力技だった。ちょっとした段差がたいへん。いろいろ疲れたけど,成田→フランクフルトの777は,比較的すいていたし,楽だった。羽田便は混んでるらしいから,787じゃなかったけどこれでよかったのかも。


<22日(土)>

まずはテレコムでプリペイドSIMを購入しようと,Zeil(フランクフルトの目抜き通り)に行く。ところが,あったはずの場所にない。他にも,靴屋のHAKOが入っていたビルもスクラップ中。いろいろ大きな変化が起きている。

新しくできたファッションビルの1階にテレコムが移動していることを発見して,1時間ほど待ってSIMを購入できた。こちらでもiPhone5の発売で,携帯電話ややアップルショップが混みまくってる。

iPhoneに入れるって言って買ったSIMが,開けてみたらでかい。SIMカッターなど持ってないので,もう一度ショップにもどってカットしてもらう。ようやく手に入ったMicro SIMは,iPhoneに入れたらすぐに開通。メールもできる。さらには,テザリング(他の機械をこの携帯経由でインターネットに接続するしくみ)までできてしまう。なんともありがたい時代になった。

その後ヘッセンチケットに行ってみるけど,窓口は休み。空いてる時間帯のはずなのに…。また月曜日にするか。

そうそう,土曜日はKonstablewacheでの市の日。某女性に見抜かれたけど,お昼はそこのKartfelwurst u. Brot(ジャガイモソーセージとパン)。ちょっと足らない感じがして,クスクス・アラビアータを追加購入。

zeil
Zeilの工事現場


cafe
cafe
<24日(月)>

朝からヘッセンチケットで11月のチケット予約。今日はちゃんと開いていた。それからZeilまで出て,昨日買えなかった携帯チャージを購入。電話ができるようになる。

お昼には,チキン(いわゆる丸ごとローストしたもの。ケンタッキーのようなスパイスはかかっていなくて,塩胡椒のみ。皮がぱりっとしてとてもおいしい。これを半分に切って売ってくれる。一人にはちょっと多いのだけど,1/4のカットはないので仕方ない。そして,食べると手が油だらけになる。スタンドで買うのだけど,その場で食べるときには覚悟がいる)を買ってホテルの部屋で食べた。

午後から,再び出かけて,植物園脇のカフェに入って仕事。すいていて静かで落ち着いて仕事ができる。街中のカフェとは,ひと味ちがう。

午前11時のアポイントメントで,フランクフルト大学のBohrer先生の部屋を訪問。日本のICT導入,ドイツのICT導入についての情報交換で,時間を忘れて12時40分まで楽しく話しをした。その後,産休をとる先生のお別れ会に一緒に参加。他の先生達ともいろいろ話ができた。フランクフルト大学のBochenheimキャンパスは,2ヶ月でスクラップされてヴェストエンド統合されることになっている。午後からはそのヴェストエンドキャンパスに移って,Trocholepczy教授も交えて議論。話がプラトン,ハイデッガーと哲学を背景にしたものになっていって,大変。メディアリテラシー(Medien Compitenz)とは何か,可能性か能力か,テクノロジーに限界はあるのかないのかなど,そのまま5時すぎまで議論。でも,とても面白かった。ここでは,いずれプレゼンテーションすることになる。学校訪問の予定も少し確認できた。

アイゼンハワーがドイツ降伏後,占領地対の指揮をとるのに数ヶ月フランクフルトにいた。この時,執務室にしていたのがフランクフルト大学の中央2階の部屋で,アイゼンハワールームと呼ばれている。そこで,Trocholepczyと撮った写真が右。

Eisenhowerルームにて
Eisenhowerルームにて
フランクフルト大のエレベーター
フランクフルト大学のエレベーター
ところでヴェストエンドのフランクフルト大学には,ふしぎなエレベーターがある。スキー場のゴンドラを連想して,それを垂直にして建物に埋めこんだ感じをイメージしてもらえばいいか。それが,壁に取り付けられている。常に動いているので(しかも結構な速さ),乗り損なったらたいへん。床と同じくらいの高さまで来たときに飛び移る。降りるときは逆。これが建物のあちこちに何基もある。

<26日(水)>

いつも行くレストランで,青島在住のご夫婦で,旦那が横浜の教員採用試験を受けているっていうカップルと話ができた。ドイツの食事はおいしいねと意気投合。しかし,この店,来る度にお客さんのアジア人構成が変わっていくような気がする。最近は,韓国,中国人がとても多い。これはまあ,どこに行っても感じることではあるけれど。それぞれの経済事情を背景にしているのかと思う。日本も,経済的にも文化的にももっとプレゼンスが欲しいところだな。…とはいえ,文化的プレゼンスは結構あるようにも思う。日本文化についてのイベントがあり,太鼓パフォーマンスの講演がありで,結構日本文化については紹介される。ドイツ人が日本語を学ぶモチベーションはマンガと合気道だと思うけど,そういう流れを絶やさないようにするために,さらにもっと関心をもってもらうために,若い人に何をしてもらわなければならないか,国をあげて考えてもいいかと思う。第二外国語をもっと大事にするしくみとか…。


<27日(木)>

朝から,ブックフェアの時の宿探し(こういうイベントがあると,宿の価格が3倍ほどになる。だけど,たまにそんなに変わらない宿もある)をして,年末年始の呼び寄せ便の見積をしてもらって,その後こちらに滞在するための書類の算段などしているうちに,1日が終わった。夕方からはストレス発散のために長時間散歩。久しぶりにフランクフルトの街をゆっくり歩いた。たった5年で,たくさんの店が入れ替わり,いくつも建物が建て変わっている。基本的には古い町だけど,徐々に変わっているのがよくわかる。日暮れ時にレーマー広場からマイン川を渡ってみた。反対岸から見ると,橋の右手が古い建物,左手が近代的な建物と分かれている。どちらもとても綺麗な風景。


FAUゲストハウス
FAUのゲストハウス

<28日(金)>

Erlangenに移動。フランクフルト駅からICEでニュルンベルグまで。そこからローカル線で30分ほど。ICEの乗り口は,段差がある。荷物を持ち上げるのが大変。降ろすのも大変。手伝ってくれる人もいたけど,簡単には持ち上がらない重さで申し訳なかった。きっとみんな後悔したんじゃないかな…。でもとてもありがたかった。

Erlangenで宿舎に入れるのは10月1日。それまでQuality Hotel泊。でもとりあえず,住居を見に行った。FAU(フリードリッヒ・アレクサンダー大学ニュルンベルグ・エアランゲン)のゲストハウス。ここで1年暮らすことになる。

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