Frankfurt生活21週目

<8月26日(日)>

早朝の列車でザルツブルグに移動。ミュンヘン経由で約5時間。12時半ごろ到着。目的はザルツブルグ音楽祭。この日は3時から,ウィーンフィルによる「フィガロの結婚」がある。チェックインができなかったので,メンヒスベルグの丘に登って町を見下ろしながら昼食をとる。さらにザルツブルグにもできたデーメルのカフェでケーキを食べて,ホテルにもどって着替え。さあ,いざ祝祭劇場に。

劇場でプログラムを買うと,キャストが素晴らしい。特に,スザンナ役のダイアナ・ダムロー。去年BSで聞いた「魔笛」の夜の女王がすばらしかった。

そして…序曲が終わってフィガロとスザンナが部屋の寸法を測っている場面ですでに感動。どちらもうまい。オーケストラもいい。歌の合間のチェロの合いの手もよく響く。その後出てくるキャスト全員がとてもうまい。最高に楽しめた。

終演後,すでにザルツブルグに入っていたU橋さん,H部さんと合流。ザルツブルグ最古のカフェで夕食。楽しい日曜日になった。

ザルツブルグの町
メンヒスベルグから見下ろした街
ザルツァッハ川がきれいに見える


ザルツブルグの町
メンヒスベルグから見たホーエンザルツブルグ城


レオポルツクロン城
レオポルツクロン城とホーエンザルツブルグ城

グラスハーモニカ
グラスハーモニカを奏でる人
いろんな大道芸をみたけど,これは初めて
綺麗な音色だし,うまかった


<8月27日(月)>

ゆっくり朝食をとって,レオポルツクロン城にでかけた。ザルツブルグ市街からそう遠くない所なのだけど,公共交通機関で行くのは結構大変。21番か22番のバスで行くのだけど,どこで降りたらいいのかが不明。とりあえずそれらしき所で降りてうろうろして,結局トラックの運転手をつかまえて道を聞いた。再度22番のバスに1つだけ乗って,Wartbergwegという所で下車。しばらく歩くと,湖に出る。その向こうに,真っ白なレオポルツクロン城が見える。さらに向こうの山の上に,ホーエンザルツブルグ城が見える。場所を移動すると,全部が重ならずに見える場所があった。天気も良くて実に美しい。この城,トラップ大佐の家という設定で,サウンド・オブ・ミュージックの撮影に使われた。

市街に戻って,翌日の列車のチケットをとりに駅まで行き,ミラベル庭園を見ながらホテルに戻る。カフェなどでゆっくり夕方を過ごして,ホテル付きのイタリアンレストランで食事。そして,ベルリンフィルとサイモン・ラトルの演奏会に。演目はマーラーの交響曲9番。

この演奏会もすごかった。ダイナミックスの幅のすごさに尽きる。弦楽器でこれだけの音が出て,しかも音色が荒れないというのは信じがたいことだった。さすがのベルリンフィル。

終演後は,U橋さんたちとビールを飲みつつ,看板まで話をした。ホテルに帰った後は,明日のプレゼンの準備。日本を離れているので,指導要領改訂の状況などもつかみにくい。インターネットで入手できる審議会の議事録や報道などをダウンロードしてから就寝。


<8月28日(火)>

9:10の列車でウィーンに移動。列車の中で,プレゼンの準備。到着後,U橋さんと一緒に日本人学校に直行した。…あ,カグラン駅で食べたホットドッグにはびっくりした。かなり大きめの焼きソーセージを,パケットに穴を開けて差し込む。とても食べられる量のパンじゃないと思ったけど,意外に入った。ソーセージがないところだけ残して,日本人学校に向かう。

到着したのは5時間目の授業中。応接室で教頭先生と話をしたりしていると,授業を見せてくれるF士先生もやってきた。6時間目がはじまった。光村の2年生の単元「あったらいいなこんなもの」の授業。発明品を考えて言葉で表現するところまでもっていくのだけど,その導入として,ウィーンで暮らして困っていることをリストアップ。それを解決するのにどんなものが必要かを考えるという流れ。

クラスは6名。みんなが困ったことを考えた後,3人ずつのグループに分かれて,U橋さんと僕がそれぞれに加わり,ヨーロッパに来て困っていることをインタビューされるというしくみだった。子どもたちとの会話も楽しみ,あっという間に時間が終わった。

講演は,指導要領やカリキュラム改訂の方向性についてと,その中で「考える力」「言葉の力」をどうとらえて「高次思考」につなげていくかという内容。みんな一所懸命聞いてくれた。質疑応答が45分も続いたのにもびっくりした。

夜は職員有志と家族も交えて,地元のホイリゲで楽しんだ。いろんな話ができて,とても楽しかった。日曜日にF士先生が逆転満塁ホームランでゲットしたというトロッケン・ベーレン・アウスレーゼ(貴腐ワイン)のお裾分けもいただいて,ご機嫌な1日のしめくくりだった。

授業
F士先生のクラス
2年生全部で6名


グループ学習
グループでのインタビュー

腕木通信機のしくみ
腕木通信機の仕組みの展示
手前の模型を動かすと,ディスプレイも変わる


<8月29日(水)>

ウィーンでの予備日。息子と産業博物館に行った。かみさんは美術館めぐり。

産業博物館には,ウィーンの鉄工所の歴史とか,印刷の歴史,いろいろな物理現象や機械の仕組みなどが展示されている。沢山の子どもたちが来ていたのも印象的。昔の通信手段だった,腕木通信機の模型とディスプレイが連動しているのも面白かった。

午後はU橋さんたちと合流して,美術史美術館に。何度行っても楽しめる。

夕食は,グリーヒェンバイスルでとった。20年ぶりぐらいに来る店だ。いい味だった。


<8月30日(木)>

早朝のエア・ベルリン(格安航空会社)でフランクフルトに。U橋さんたちと分かれて自宅に戻って,いくつか仕事のメールを片付ける。U橋さんは,マインツのグーテンベルグ博物館に行ったらしい。帰ってきたところで落ち合って,フレスガスのワイン祭りに行った。あちこちで食料や飲み物を買い集めて,夕食をとった。その後,うちに来てもらって,ウィーンから運んできたデザートを食べたり,飲んだりして遊んだ。U橋さんたちが帰ったのは,もう深夜。


<8月31日(金)>

朝,郵便受けに ドイツポストからの連絡が入っていた。大分前にH田さんに送ってもらった資料がまだつかない。その件で電話しろということ。電話をしてみると,受け取り人名が日本語なので,誰に渡して良いかわからなかったらしい。こちらでは,同じ番地(アパート)に20世帯ぐらいが住んでいる。部屋番号はあるのだけど,書いてもあまり意味がない。呼び鈴のところに,部屋番号が書いてないから。むしろ宛名が重要。それでとどかなかったらしい。名字のスペルを伝えて,明日届くという約束をもらった。

U橋さんたちがやってきた。昼ご飯はうちでうどん。実は,とろろ昆布を持ってきてもらったのだ。フランクフルトにはかなり豊富な日本食材がある。けど,とろろ昆布は手に入らない。うちは,うどんにこれが必需品。卵,天かす,とろろ昆布を入れて食べる「天・昆布・玉」というのが定番。とても上質のとろろ昆布で,格別のおいしさだった。感謝。

午後から,U橋さんとユダヤ博物館を訪れた。なかなか行けなかった場所。ユダヤ人のヨーロッパにおける歴史,居住区の制限やその開放について,ユダヤ社会がフランクフルトで果たした経済上の役割,豊かだったユダヤの生活とナチスによる粛正など,いろいろな展示があった。ユダヤ博物館は2箇所にあって,別館は昔の居住区の1部を保存している。住居や井戸などの遺構から,当時に思いを馳せる。時間があまりなかったのだけど,いろいろ考える展示だ。別館の隣にあるユダヤ人墓地は壁で囲まれていて,その壁に収容所に送られた人の名前を刻んだ金属のブロックがはめ込まれている。多くが,没年不明のままだった。

夜は,アドルフ・ヴァグナーというリンゴ酒酒場で。飲み屋なのに,わりと控えめな味付けでおいしかった。帰りのドルチェというアイスクリーム屋もうまかった。


<9月1日(土)>

昼ごろ郵便が届いた。なんと,宛名が,「Kuaokeme」。どうやら,スペル確認の時のアールの発音がAに聞こえたりEに聞こえたりするらしい。よく届いたものだ。結果オーライだけど。

旅行続きで進んでいない仕事にかかる。大学関連の書類の作成もやらなきゃ…。あと1ヶ月。結構忙しい。

ユダヤ人街の遺構
ユダヤ人街の遺構

アドルフ・ヴァグナーで
アドルフ・ヴァグナーで

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